多摩川の中下流域で、河原で立ち話する川好きのお年寄りの話に、必ず出る魚の話があります。

　マルタウグイ──。昔の多摩川を語る中で、少々感傷的な気分にまぶされる“どうだ、お前は知らないだろ・・・”的な満足とともに、その話は進みます。

　“マルタウグイ”確かに面白い名前です。しかし、この変わった名前も、姿を見ればすぐにうなずけます。その名の通り、マルタのように立派なウグイなのです。

　体長は４０〜５０ｃｍ、産卵期にはお腹にオレンジの鮮やかなシマ模様が入り、丸々と太った、ほかにない迫力があります。

　お年寄りの話は、さらに続きます。「あれがいっぱい居てサー、よく網で打ったり釣ったりしたもんだヨ」そして、お決まりの「あー昔は良かったなァー」と、５月の空を見上げたとこで終わります。

　その昔とはいったい、いつ頃の話なのでしょうか・・・・。答えがまちまちなので、正確なところは分かりませんが、お年寄りの皆さんが最後にマルタと遊んだという記憶は、だいたい昭和三十年代の頃の話だそうです。僕が生まれた頃の多摩川が、どんな川だったのか知るよしもありません。

　その後、高度成長期が進むにつれて、多摩川の水質も悪くなり始め、一時期はマルタウグイの姿もほとんど見かけられなくなったそうです。しかし時代は平成に入り、流域住民の環境意識も大きく変わり、各機関の皆さんの努力もあって、近年、春の産卵期には、オレンジ色にお腹を染めたマルタウグイを、中流域でも普通に観察できるようになりました。

　したがって、今度、川好きのお年寄りに会ったら、少々希望に満ちあふれた気分で、満足げにそのことを教えてあげなければなりません。

“マルタウグイの産卵観察”

　私の住む河口から２４キロ付近の多摩川で、マルタウグイの大きな産卵群が見られるようになったのは、６年前の９５年頃からです。以降、その数は年々増し続けています。特に、約１キロ下流にある二ｹ領宿河原堰堤の改築工事が終わって、新しい魚道が開通するのと同時に、その数は飛躍的に伸びています。

　毎年、３月下旬から５月の上旬頃まで、大きな群れとなった産卵群が、あちらこちらで水しぶきを上げて産卵を繰り返しているから放ってはおけません。

　さて、マルタウグイはどんなところで産卵しているのでしょうか──。

　ほかの多くの魚がそうであるように、マルタウグイも瀬の中で産卵します。何故、わざわざ流れの強い瀬の中で産卵するかは、いろいろな説がありますが、どれも正しい気がしています。

　どのような説があるかと言うと、

�@  生んだ卵が、他の魚に食べられない。

�A  流速が速く、石間を伏流する流れもあり、卵の酸素を十分に補給できる。

�B  孵化した仔魚が、いち早く流下できる。

　いずれも、産卵環境として、なくてはならない条件でもあります。では実際にマルタウグイの産卵は、どのような場所で行われているのでしょうか。以下は、今年度の観察の中心となった、中流宿河原堰付近で行われていた産卵の観察と状況です。

“マルタウグイの産卵生態”

　観察を通して想像できる事柄。

　書き出した産卵場所は、観察区域内で約２０匹以上の大きな産卵群が、産卵場所として選んでいた場所です。しかし逆に言うと、次に挙げる条件さえあれば、どんな小さな場所でも必ず観察できました。

�@  場所選びに共通する産卵環境

７ヶ所の産卵床にある大きく共通した事柄を挙げると、次のようになりました。

＊  瀬の状況として直線である

＊  流れの速さが、秒速１メートル以上（注１）ある、水深３０センチ未満の早瀬

＊  川底の石の状態が、大きさの平均として約３センチ以上６センチ未満（注２）で、石の表面にヌル（注３）や、珪藻類が付着してない

＊  産卵場とした早瀬の下流側に発達した深い淵（注４）がある

　観察区域内にあった15ヶ所の瀬の中で、この条件が揃うところは、すべての瀬で大小の産卵群が入っていました。したがって総数で考えると、のぼって来たマルタウグイの数は、相当の数だったのが分かります。

（注１）自作の流速計にて計測。おおまかな数字として使用。

（注２）それぞれの

（注３）河床に体積した水アカ

（注４）そうでもない所でも産卵行動はあったが、いずれも10匹未満の小さな群れだった。

�A  産卵形態

　産卵形態としては、ほぼウグイと同じで、瀬の中の良き位置を見つけたメスが定位すると、周りのオスがサッと近寄ってメスの産卵の瞬間を待ちます。メスが渋いようですと、周りのオスは体をメスにつけてブルブルと体を震わせながら催促をしています。そして、メスの放卵とともに、周りのオスが一斉に飛び込んで射精します。

　水深が２０センチほどの早瀬内なので、放卵射精の瞬間は大きな水しぶきが上がります。したがって、陸の上からも産卵は容易に見つけることが出来ました。

　５０センチ前後の大きな体が反り返り、卵を食べる他のマルタウグイも勢いよく突っ込んで来るので、マルタウグイの産卵床探しは、水しぶきを探すだけですぐに見つかります。

　卵は、直径２ミリほどの大きさで、底にある石の側面側に多く付着していました。かなり粘着性の高い卵で、水の中で強く揺すってもはがれません。

�B  多摩川中流域における産卵期間

　産卵行動は本来は夜間ですが、最盛期になると昼夜関係なく瀬に出て水しぶきを上げています。産卵期は長く、多摩川では３月の上旬から姿が見え始め、４月上旬をピークにして５月中旬ごろまで観察できました。

　特に４月初めの満月大潮日となった、8,9,10日は日中から大きな群れを作り、激しく水をたたく姿が随所で観察出来ました。

�C  産卵群の体長変化

　3月上旬から始まるマルタウグイの産卵を通して観察していくと、次々遡上してくるマルタウグイの体長が徐々に変化していくのが良く解かります。

　4月上旬頃までのマルタウグイは、捕獲してみると平均で５０センチ前後、中には６０センチに届く大きさのものもいます。しかし、ピーク時が過ぎた五月上旬頃のマルタウグイは、平均で40センチ前後に落ち着き始め、中には30センチの小型も交じり始めます。体格のよい元気な魚から川を遡り始め、水温が上がり始めると、体の小さな魚も遡り始める・・・そんな魚の遡上事情も想像できます。これはアユも同じで、遡上期と遡上魚の体長には、何らかの関係があることが解かりました。

“産卵水域”

　では、マルタウグイは、この多摩川をどこまでのぼって産卵しているのでしょうか。3月２２，２３日、4月10日の計3日間を使い、多摩川におけるマルタウグイの産卵場所の上限と下限を探してみました。

　以下は4月11日の巡回観察の結果からです。

　：晴れ

　：水温　２０℃

　：水量　３３cm

　：透明度　５０cm

（上流）

　─処理場下の堰前を探したが、姿も卵もなし。川底の石も大きくゴロタ大。

　─石間に沈殿物が溜まって、河床全体がコンクリートのように固い。

　─全体的に石にひどくヌルが付き汚れていた。

　─４０年ここで釣りをやっているというおじさんの話によると、一度もマルタはここで見たことがない・・・とのこと。

　─他のポイントも、ほぼ同様で、川底の状態が悪い。動いてヌル落ちした石はまったくなかった。

　─マルタの卵を発見。岸寄りのくずれて落ちた砂利底を使っている。幅３０センチ、長さ１メートルぐらいの小さな場所だった。

　産卵床として使える瀬の中の底石は、上流側では、そこの１ヶ所だけだった。河床全体が良い底石になれば、もう少し上がるのかも知れない。

　なにより、上河原の魚道をマルタウグイが遡ったというのが嬉しい！

（下流）

　上河原堰から東名下までは、すでに確認済みなので、宇奈根１段目から始める。

　─宇奈根１段２段ともに、瀬石は水草が付き、ほとんど動いた気配なし。コケ、ヌル落ちした場所がまったくなかった。卵ナシ姿ナシ

　─２４６号線の橋の下、二子玉１段目の途中にあった新しい瀬で卵アリ。瀬の全体が石の状態が良い。トロから先、瀬の前は沈殿物、ヌルが多かったが、流れそのものが新しい場所のようで、水深など産卵環境が整った場所には、卵が横一列に瀬を横切るように岸から岸へと帯状の底石に卵があった。

　二子玉の周りは、最下流の瀬の中にも、状態の良い瀬には必ず卵があった。（ピーヤの深みでマルタ発見）

　─以下、上野毛の瀬でも、崩れてきれいな石が広がっていた岸寄りの流れで、卵数個を確認。以下は、巨人軍前も瀬がなくなっていて卵は発見出来なかった。

　産卵水域の上限は、今回の観察では河口から２８．４キロ地点、多摩川原橋、稲城大橋間ということになりました。しかし、河床状況が良ければ、さらに上限は上がる可能性もあり、引き続いて観察を続ける必要があるようです。

　産卵水域下限では、河口から１５キロ地点の谷沢川合流地点下で、それ以下は底質、流速ともに適したところがなかったようで、3回の巡回観察中にマルタウグイの産卵群と出会えませんでした。したがって、想像出来る産卵水域は、下限河口１５キロ地点から上限２８．４キロ地点の１３．４キロ間。最も多くの産卵群が観察出来たのは、河口１８キロ二子橋付近から２２キロ地点の宿河原堰下までの計４キロでした。

　これは、ほぼアユの産卵水域と同じであり、降河、遡河かかわらず、川で産卵する回遊性の魚が選ぶ産卵域には深い関心を持ちました。

“観察を通じて感じたこと”

　改めて観察をしてみて、多摩川を遡上するマルタウグイのあまりの数に、本当はかなりびっくりしています。

　この魚を、多摩川で甦らすために努力をなさった皆さまには、心からの　　をお送りします。平瀬の内に付いた数百匹の産卵群は、北のシャケのようでもあり、とても東京多摩川とは思えない景色でした。

　マルタウグイのふる里への帰郷の旅は、多摩川の豊かさそのものを感じさせられます。

　年々、川環境が悪くなる地方河川が多い中、流域人口３５０万人の日本で最も人との関わりが深い多摩川で起こる“年々良くなる現象”を、ひとつひとつ観察を通じながら確認出来る幸せを感じています。

　３０年後、老人になった僕が、河原でつかまえた青年に、いったいどんな川話が出来るのか・・・実はちょっと楽しみなのです。