空ツユとなった今年の７月上旬、オイカワの産卵観察にまたまたホーけてしまった。

　このオイカワという魚、おそらく日本中の川で少年からおじさんまで、最も竿あそびに貢献しているはずなのに、案外産卵に関しては、あんまり知られていない。

　今のところ、多摩川にいるオイカワが、古くからこの川で暮らしていた在来種なのか、はたまたアユなどの放流に混じって移植されたものなのかは定かではないが、その存在は一年を通じて、流域住民の手軽に楽しめる遊び相手として、もっとも親しまれている魚でもあるのだ。

　流れの速い水の中を、エメラルドグリーンと鮮やかなオレンジに身を染めて、素早く泳ぎ回るこの魚は、いったいどんな環境で世代交代をしているのだろう・・・。

　まとまった雨もなく、すっかり水位も下がってしまった七月十三日から十七日までの五日間、この愛くるしい魚たちの産卵を観察してみることにした。

　（観察地点）

　観察をした場所は河口より２２．５キロ、二ケ領用水宿河原堰堤の下流約２００メートル地点にある中州を挟んで流れていた、チャラ瀬脇の“わんど”。水際は抽水植物帯で覆われた、いわゆる“ガサガサ帯”で、チャラ瀬から切り込んだわんど内の流れは、急速に流れを緩め、水深１０〜２０センチを保ちながら、毎秒１５センチ未満の流速だった。

　底質は、平瀬から巻き込んで堆積した砂礫質であり、よく動いた底は、珪藻類及び水アカなどの付着もなく、美しい状態を保っていた。観察日天候は、晴れ３日、曇り２日。水温２８〜３０度内での変位があった。

　（産卵の形態）

　オイカワの産卵は、オスメス一対で行われる。メスは一度ではなく何回かに分けて卵を産んでいるようだ。

　産卵に適したこのようなわんど内では、ナワバリを確保するためにオス同士の激しい争いがあり、体当たりを繰り返す。
　頭部やアゴの下に突起した固い追星は、その場合武器になるようで、多くのオスの体には体当たりを繰り返した深いキズが残っていた。（写真―２）

　観察ポイントとなったわんどは、長さが約１ｍ５０�p、幅は６０�pほどの小さなわんどで、そのうちオスがナワバリとしてスペースを確保出来ていたのは、計５ヵ所、それぞれ半径３０〜４０ほどのスペース。

　絶え間なく進入して来る他のオスを排除しながら、スペースを確保しているオスには、やがてメスが近寄って来る。

　するとオスは、水面へと浮き上がり、大きな尾びれを力強く広げてメスへのアピールを開始、腹の下へとメスをなびくような仕草をし始めた。

オスの確保したスペースと、そのオスを気に入ったメスは、その大きな尻びれをくぐるように何度も通過して合意を伝える。　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　

　やがて、メスはそのスペース内の良き所へ定位し、産卵の体制に入ってオスを待つ。

　オスは、その長い尻びれを使い上手にメスを下から抱き込む。

産卵、放精の瞬間は、オスメス共に激しく尾びれを震わし、砂礫質の底にほぼ下半身を埋め込むようにして行なった。

　砂礫に撒かれた卵は肉眼ではなかなか見つからないが、尾びれによって掘り返し砂礫と共に後方へ撒かれた卵のうち、、運悪く埋もれずに表層に露出した卵は、産卵と同時に群がって来る他の同種のメスに瞬時に喰われていた。

　産み付けられた卵は３日ほどで孵化し、卵黄を吸収しながら、体長が８ミリほどになるまで産卵床内でじっとして過ごす。

　数日後、産卵のあったわんどに訪れて見ると、すでに卵黄を吸収し終えた仔魚たちが、わんど内表層を群れていた。

　その後は河川を流下して、１年で１０センチほどに成長し、２年で１２センチ、３年で１３センチぐらいに成長する。２年目からは産卵に参加できるまで成熟するようだ。

（観察して解かったこと）

─その�@─オスの尻びれの役割

　オイカワの尻びれは、メスのそれよりも大きく発達して、後方まで長く広がり、色彩も無色のメスとは異なって、淡いオレンジ色に染まる。

　観察を続けるうちに、この婚姻色に染まった大きな尻びれは、実は産卵放精に大きな役割があることが解かった。　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　

　メスを呼び込むために水面に浮き上がり、その大きな尻びれを大きなのれんのように下に広げているのも面白い発見だったが、メスを押さえ込んでからメスの体を引き寄せるのに、この尻びれが上手に使われていて、さらに放卵の瞬間にはオスの尻びれは、メスのちょうど尻びれの基底部をグルリと包み込むように巻き込まれていて、これはおそらく、放出された卵を自身の丸めた尻びれ内を通過させることにより、卵を効率良く受精させるための行動であることが想像できた。

─その�A─順番待ちのオスの待機

　産卵床であるわんどにスペースを確保したオスたちは、次から次へと現れる同種のオスたちを追い払うのに必死だ。

　観察は、そのわんど内にあるゴロタ石に腰掛けての観察だったが、静かにしていると、産卵は、ほぼその足の周りでも行われ、オスもメスも観察者の存在に怯むことなく、果敢に行われていた。

　したがって、通常はそのゴロタ石の上にコサギが一羽とまっていて、いとも簡単に定位したオスやメスを捕食している。さすがは水鳥、この時期に魚が集まる場所を知っている。しかも、水の中へ潜れないサギ類にとっては、こうして浅場に群れている魚を見逃すわけにはいかないのだろう。捕食によって空いたスペースには、すぐに次のオスが入り、定位するとまたコサギに捕食されてしまう。まったくオイカワも哀れな感じだ。

　しかしコサギにもナワバリがあるようで、他のコサギが現れると争い追い出すので、オイカワを捕食するコサギは、そこでは常に一羽だけになっていて、したがって、５ヶ所あったスペースのどこかで、産卵は随時成功していた。
　それにしても、身じろがずに命を賭けて産卵をする彼らの必死さは大変なもので、“フニャラ・・”と生きている己の不真面目さを強く反省せねばなるまい。

　スペースを確保出来なかったオイカワのオスたちは、わんどの外へと追い出され、わんど入り口の平瀬内に列を作るように並びながら、繰り返し突入を試みている。

　あれだけ激しい争いをしているのに、一度平瀬へ追い出されてしまうと、争うこともなく仲良く待機しているのが面白かった。

─その�B─流下と遡行

　孵化した仔魚は、成長とともに順次わんどから離れ、平瀬の流れに乗って流下していくようだ。その移動は、すぐ下の流れの緩みから河口付近までと、かなり河川全体幅広く分布している。

　アユの遡上のピークが終わる５月中旬以降は、婚姻色に体を染めたオイカワが下流側各堰堤で、遡行のためジャンプを繰り返す姿を毎年観察することができる。

　特に、河口から最初の堰となる調布堰では、アユの遡上時に等しい数が堰堤下流側で溜まっていることもたびたびある。この堰より下流側では、産卵に適した瀬がないことから、これらのオイカワの多くが稚魚期に上流から流下して行ったことが想像できた。

　したがって、海には出ずともオイカワには、産卵期の遡上と仔魚期の降河がある可能性が強く、堰堤魚道を通過する種としても考えて行く必要があるように感じた。

─その�C─善良なる妨害

　多摩川は人通りの多い川である。釣り人は言うに及ばず、ジョギングやバードウォッチャーから、はたまたただの河原散歩まで、ひっきりなしに人が通る。

　したがって、オイカワの産卵観察とは言え、ウェットスーツを身にまとい、水深１０センチほどの川の中で、人間が身じろぎもせずに這いつくばっている風景は、かなりのっぴきならない景色に見えるようだ。

「大丈夫ですか？」

　岸辺からの一番多い声がコレ──。それはそうだ。人が死んで打ち上げられている・・。たぶん、そんな事を思っての恐る恐るの声掛けだ。その場合は、軽く手をあげて生きているところを見せてあげると、不審ながらも、そのうち立ち去ってくれるのだが、厄介なのがヒマな人。こちらの様子にやおら興味を持って、

「ヘェー、なにしてんですか？」

などと、ズカズカと近づいて来る。

　マズイ・・・。魚が安心して近づいてくれるまで、すでに何時間も掛かっている。このままバシャバシャ近づかれたら、せっかくの魚が散ってしまう。

　来ないでッと、手を出し制してみるものの、「エッ、なになに？」ヒマな人はなおさら興味深げに、ニコニコ顔のまま近づいてくれる。

　あー、案の定オイカワは全部散ってしまった。これが、日に二度や三度でないからたまらない。

　とりあえず、説明はしてあげるけど、あーあ、魚の産卵観察など、まだまだ突飛な世界の事。この善良な妨害もしばらくは続きそうなのだ・・・。

（観察を通じて感じたこと）

　婚姻色に染まったオイカワは、大変に美しい魚だ。水槽で飼育しても大きく色変わりしないので、釣って持ち帰っても、十分に観賞魚として育てることも出来る。

　多摩川の中流域では、その数量は他を圧倒するほどの主流な魚だ。

　保護されることも、新たに放流されることもない雑魚だが、河川の生態バランスを底辺で支える立派な魚でもある。

　オイカワは、釣りザオでも、タモ網でも、何処ででも楽しく出会える魚だ。しかし、何処にでもいる魚だからといって、何処でも産卵出来るわけではない。　　

　オイカワが産卵床として選んだのは、水辺の大変に小さな環境だった。

　彼らが必要とする、小さな環境を理解してあげながら、今後も流域市民の親しみやすい魚として大切にしてあげられれば・・・と願っている。